マレーシアの名映画監督「ヤスミン・アフマド」の作品を観賞して感じたこと

00
先日、特別な企画として、マレーシアのヤスミン・アフマド(アハマド)監督の作品を2本観る機会がありました。映像作品としてはともかく、あまり監督とか脚本家とか、場合によっては役者も含めてそれほど興味はないのですが、長編映画6本の活動しかしなかったのにもかかわらず、世界中から評価の高いこの監督にちょっと興味を持ちました。


メニュー

クリックすると、項目の内容へ移動します。

1、6年間だけ活躍した伝説の監督

50

※画像はWikipediaより引用




ジヤスミン・アフマド(Yasmin Ahmad)監督没後10周年記念特集上映という企画があるので、観てきました。その後改めて監督の経歴などを見ると、驚いたことに6年間しか活躍していません。



11

2003年のラブンで、長編映画監督としてデビュー後、毎年のように1作品ずつ計6作品を制作しますが、2009年に脳出血により死去とあります。当時はマレーシアの映画はもとより、マレーシアへの渡航も今と比べるとほとんど行っていませんでしたので、突然の死のことなど全く知りませんでした。その没後10年が今年だったわけです。



さらに、1958年生まれですから、映画監督デビューが45歳というのも随分遅いと思いました。
ただ、その前にアリ・モハメッドとの共同クリエイティブディレクターという仕事を1993年から行っており、レオパネットクアラルンプールのエグゼイティブクリエイティブディレクターの肩書もあったようです。



戻る

2、ヤスミン・アフマド監督のエピソード

20

ヤスミン・アフマド監督の経歴を見ると、マレーシア半島部の先端ジョホール州の出身で、母方の祖母が日本人とあります。
そういう経歴を読むとシンガポールの大ヒットドラマで、日本人の父を持つ主人公のことを思い出します。監督はイギリスのニューカッスル大学で芸術と心理学を学んだとあります。



アハマドという名前や、映画の最初に、アラーへの感謝の言葉が出てきましたから、監督はムスリムだと思われます。彼女の映画には、現地の社会的保守主義者、イスラム教の強硬な解釈では、禁じられていると見られる出来事や関係が描かれているので、マレーシアでは物議を醸しているそうです。

21



確かに、イスラムのマレー人の女性が頭から被るもの(ヒジャブ)を、外に出ても被っていなかったシーンが印象的でした。そのため最初はマレー人ではない、別の民族の設定と思っていました。
監督が生前、影響を受けているとインタビューで答えているのが、小津安二郎とダグラス・サークとチャーリー・チャップリンで、好きな映画が寅さんシリーズの「男はつらいよ」とのことだそうです。そういうのを読むと、作品そのものへの影響もあるような気がします。



戻る

3、実際の作品1「タレンタイム」

30



実際の作品を観ての感想です。最初は「タレンタイム~優しい歌」という作品で、これは2009年に公開された監督最後の作品、つまり遺作でした。高校が舞台で、タレンタイムというコンテストに出る生徒たちの物語でした。ところがマレー、中華、インドと3つの民族の関係が複雑に絡むだけでなく、さらに聴覚障害を持つ生徒や難病の母を持つ生徒など、さらに複雑な物が加わり、青春映画の仮面をかぶった社会の深い闇をえぐっているような内容でした。



戻る

4、実際の作品2「細い目」

40




次に見たのは、2本目に公開された「細い目」。このタイトル「細い目」は、マレー人ファーストの雰囲気があるマレーシアでは中華系の差別用語のことです。中華系の裏社会ともつながっている若者と、マレー系の少し裕福な家に住んでいる娘との恋物語で、民族間の恋愛の難しさを追求した作品でした。劇中にプラナカン(字幕ではペラナカン)のことを述べているシーンがあり、その若者の母親がプラナカンという設定でしたが、そのプラナカンは中華系の男性とマレーの女性を先祖に持つことを指します。映画の中も語られていましたが、当時は今のように余計な規制もなく、簡単にむすばれたようで、それはなかなかの見ごたえでした。また舞台が先日実際に訪問したイポーというのも、より親近感がありました。



戻る

5、3民族国家マレーシアの内部事情が見られる映画

10




伝説の監督と言われたマレーシアの監督が、マレーシアの社会に反響を与える作品ということもあり、マレーシアに短期で旅をしても、絶対にわからないようなマレー社会の内部事情のようなものを読み取れました。やはり親世代では民族間の壁はあるのがわかるのですが、教育が良いのか?若い世代はリベラル的にあまり民族差にこだわらないようなものも感じました。

51



本当はマレーシアに行く前に鑑賞できたらもっとよかったのですが、行った後でもよい追体験となりました。細い目の撮影の舞台となったイポーの風景も懐かしかったです。

戻る





広告

投稿者: kumakuma2018

東南アジア10ヶ国中、ブルネイを除く9カ国に渡航経験があり、15年以上前からほぼ毎年渡航していて、日本で東南アジア料理店を経営しています。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中