ベトナム阮朝の皇帝たち(2・3代)ミンマン帝とテイエウチ帝 ベトナムの歴史⑳

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こちらの続きで、ベトナム阮朝の2代ミンマン帝と3代テイエウチ帝を紹介します。まだフランスの影が薄く、阮朝が独立した王朝としてまだ力強かった時代の2人の皇帝を取り上げます。
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1、はじめに

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ベトナム阮朝の2代ミンマン(明命)帝と3代テイエウチ(紹治)帝の紹介です。ベトナムを統一した阮朝ができて間が無かった時代、フランスの影響は多少あるものの、まだまだ影が薄く、独立した王朝として力強かった時代に生きた2人の皇帝の時代について、中国清との関係を強化し、カンボジアに圧力をかけることができたほどの力強かった2代皇帝。



そして、あまり記録がなく、まだ比較的平和と思われる3代皇帝の動きを追いかけます。

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2、2代ミンマン(明命)帝

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初代皇帝ザロン(嘉隆)帝の第4子として生まれ、1820年に即位しました。建国の際の国号「越南」(ベトナム)を、「大南」(ダイナム)と改め、清を宗主国しつう自ら「中華秩序」的のような世界を目指しました。当時さらなる通商拡大を狙ったフランスとの交渉を拒絶しました。さらにカンボジアへの軍事遠征を行い、1834年に起こった泰越戦争の結果、カンボジアのトンレサップ湖より南の地域を勢力下におさめました。(阮朝の最大勢力)



山岳地帯の少数民族に対する統制強化を図り、ベトナム全土にて省県制を徹底させ、科挙に殿試を加えるようなことを行いました。しかし各地で反乱を招きました。この反乱の鎮圧と同時に、当時多くの宣教師が来ていたキリスト教に対する弾圧を開始。1836年に宣教師7人を処刑したり、キリスト教徒多数を弾圧したので。多くのキリスト教徒が山岳地帯に逃れました。20年以上の統治の後、1841年に逝去しました。
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3、3代テイエウチ(紹治)帝

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ミンマン(明命)帝の子で、1841年に即位しました。この当時に中国の清国が英国とアヘン戦争に突入していました。英国の圧倒的な軍事力を見せつけられたこともあり、宣教師への弾圧を緩和しました。また投獄していた宣教師をフランス軍艦に引き渡しを行いました。しかし、フランスへの通商については引き続き消極的で、フランスからの国書を拒絶し、海防を強化しました。しかし1847年にフランス軍艦がダナンを攻撃し、阮朝の軍艦が5隻沈められたことから、フランスへの態度がますます強化されまし
た。その激動の中1847年に逝去、治世は6年ほどでした。

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4、まとめ

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ということで、2・3代皇帝を取り上げました。この頃はフランスはまだ友好的な交渉を考えていましたが、阮朝の方がキリスト教に対するアレルギーがあったようです。鎖国政策や国内を小中国のように変えようとした2代皇帝の時代は阮朝が最も強かった時代でした。3代皇帝の時代から、アヘン戦争でアジア諸国の軍事力が弱いことを知る事になり、苦難の時代が徐々に幕開けようというのがわかります。
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投稿者: kumakuma2018

東南アジア10ヶ国中、ブルネイを除く9カ国に渡航経験があり、15年以上前からほぼ毎年渡航していて、日本で東南アジア料理店を経営しています。

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