ベトナムの歴史⑧ 第一次インドシナ戦争の前半部分

フランス兵

さて、今回は「第一次インドシナ戦争の前半部分」です。ベトナムが独立宣言したことと、再び支配しようとするフランスとの交渉、決裂後の戦争突入の流れを見ていきます。
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1、はじめに

1945年に日本軍が撤退後、ベトナム独立同盟(ベトミン)はハノイで「ベトナム民主共和国」の
独立宣言が行われたものの、再びフランスが支配するためにやってきます。


1946年に行われた「フォンテーヌブロー会談」が決裂し、
戦争がはじまります。
インドシナ (字幕版)
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2、交渉決裂と戦争開始まで

フォンテーヌ

ベトナムとフランスの間で交渉が行われた「フォンテーヌブロー」
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1946年の2月28日と3月6日の2回にわたって行われた、ベトミンとフランスは予備協定を締結。フランス連合インドシナ連邦の一国としてベトナム民主共和国の独立とトンキン地方のフランス軍駐留を認め、相互に一時的妥協が成立します。
3月26日。ベトナム南部にコーチシナ共和国が成立。これはフランスの傀儡(かいらい)国家で、南部のプランテーション入植者の既得権益を優先するために作られた国家です。
6月にホーチミンらのベトナム代表団は、フランスのパリ郊外にあるのフォンテーヌブローに向かい、フランス本国と独立問題で話し合いを行います。交渉は9月まで続きましたが、フランス側が提示したコーチシナ共和国成立による分割の問題や、フランスの植民地「インドシナ連邦傘下の自治」と言った内容に受け入れられないベトナム側と交渉が決裂します。
1946年11月20日、ハイフォン港での密輸船取締りに端を発する銃撃事件は同港制圧の口実となり、フランス海軍が進出。対位に戦争がはじまります。
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3、戦争開始と長期化へ

インドシナ戦争
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1946年12月19日にフランス軍が、ベトナムの重要施設を襲撃し、翌年の2月には平定作戦亜h終了。中部の主要都市ダナン、フエ、プレイクも占領し、見た目、軍事問題はは解決したように見えます。
しかしベトミン側は、内陸の農村地帯に撤退し、そこからゲリラ戦を展開し徹底抗戦をの構えを見せます。
その中でも話し合いを模索しようと、ベトミン側はフランス本国に和平交渉を求めます。一旦交渉を行いますが、やはりここでも決裂します。

やがて、戦争は長期化し、当初圧倒的だったフランス側が、ベトナム側に敗戦する事態も
起こります。フランス側は敗戦を「勝利」したように見せかけたり、ミーチャック村で虐殺事件
を起こすなど形勢が徐々に変わってきます。

1949年ごろからベトナム軍に対してソ連、中国(中華人民共和国)といった東側の大国の支援をうけるようになり、さらに混乱が増すようになります。
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4、まとめ

フランス

長い間「植民地」として搾取していたフランスと、日本軍撤退のチャンスに独立をしようとしたベトナムの間に、考え方の差が激しすぎ買ったのがわかります。結局話し合いでは無理とばかりに戦争になりますが当初は余裕で勝てると思っていたフランス側の「おごり」が見られ、戦争がより長期化することになりました。ベトナム側としては今回こそまたとない「好機」でしたから、独立を勝ち取るまでの並々ならぬ執念を感じます。(それがのちのアメリカとの戦いにも生きた)
この続き(後半部分)は、こちらになります。
インドシナ (字幕版)
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投稿者: kumakuma2018

東南アジア10ヶ国中、ブルネイを除く9カ国に渡航経験があり、15年以上前からほぼ毎年渡航していて、日本で東南アジア料理店を経営しています。

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