ベトナムの歴史⑥ 第一次インドシナ戦争最大の戦い「ディエンビエンフーの戦い」

ディエンビエンフーの戦い

ベトナムの歴史はさらにさかのぼり、独立戦争ともいえる「第一次インドシナ戦争」のあたりになります。

今回は、この戦いの雌雄が決まったような戦い、「ディエンビェンフーの戦い」を見てきます。

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1、はじめに

一つの「戦争」の期間中、より小さな戦いが繰り返されますが、その戦いの中で戦争全体の方向性が決まる重要な戦いがあります。(日露戦争の日本海海戦の様なもの)
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この第一次インドシナ戦争では、今回の「ディエンビエンフーの戦い」がまさしくそれで、ベトナム軍がフランス軍に勝利したことでこの後の和平交渉を有利に進めることができました。
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2、ディエンビエンフーの場所

Điện Biên Phủ地図

ディエンビエンフー( Điện Biên Phủ / 奠邊府)の場所は、南北に長いベトナムの北西の端。ラオス国境の近くにあるムアンタン盆地の中にあります。首都ハノイから500kmで車で11時間くらいかかる盆地帯に町があり、隣国のラオスの影響が強い場所です。

歴史を見ると、最初に「スワー候国」と呼ばれる小さな国が、西暦698年ごろに建国されました。

やがてこの小さな国は、モンゴル帝国の侵攻を経て、ラオスのランサーン王国の一部になります。

やがてラオスとベトナムがフランスの統治となり、後にベトナム側の領土の一部にになったようなところです。

そしてこの辺境の小さな町で、ベトナムの独立をかけた最終的な戦いが行われました。
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3、戦いが始まるまで

フランス兵

1946年から始まった第一次インドシナ戦争。独立を宣言したホーチミン率いるベトナム民主共和国と、引き続き植民地支配を続けたいフランスの戦いは、1950年以降ベトナム側が優位になり、フランス軍は徐々に劣勢になります。

しかし、ベトナム軍より兵站(へいたん)上の後方支援能力が高いフランス軍は、ここで逆転するために、広域支配する物の兵站能力が劣る、ベトナムの正規軍(ベトナム独立同盟:ベトミン軍)の主力を僻地(へきち)に誘引して、そこで兵站を絶ちながら撃破する作戦が練られました。
その対象となったのが北西の僻地「ディエンビエンフー」で、ここには旧日本軍が建設した飛行場の跡が残っていたので、空中からの補給や空挺効果が可能であったことと、フランス軍が支配していた拠点ハノイへの往復路として限界の距離だった場所でした。

当初の計画ではここの町を補給航空基地、そのさらに山奥にある、ラオスのルアンババーンを防御基地にする計画でしたが、この作戦が「冒険的」と判断され、防御基地もディエンビエンフーにするということで作戦が変更されました。

※実はこれが失敗だったようです。もし当初のようにルアンババーンに要塞ができていたら展開が違っていた可能性があります。

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この作戦は「カストール作戦」と呼ばれ、1953年11月20日に実施。空挺部隊が空から落下していきます。25日には滑走路の再整備、要塞の構築が進み、1万6000の兵力が投入されます。
これを受け、現地付近に駐在していたベトミン軍は、反撃のための対応を開始。ベトナム側は、ソ連・中国からの武器の供給をうけ、このフランスのつくった要塞の周囲を包囲していきます。

総兵力は7万ともいわれ、翌1954年から小規模な戦いが繰り広げられます。

そして3月に本格的な攻撃が開始されます。
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4、戦いとその結果

ディエンビエンフーの勝利

1953年3月13日より攻撃が開始されます。戦いは56日間続きました。

ベトミン軍は最初にディエンビエンフー本体の周囲の陣地から攻撃していきます。

夜間攻撃で北東方のあったベアトリス(Beatrice)陣地と、最北方のガブリエラ(Gabrielle)陣地が次々と陥落します。フランス軍も応戦するものの、奪回できませんでした。

次に、南方のイザベル(Isabelle)陣地。こことディエンビエンフー本体との交通の遮断を行います。

ベトミン軍の攻撃に恐れをなしてしまった、北西方のアンヌ=マリー(Anne-Marie)陣地にいた、フランス側の南ベトナムの兵士たちは、次々と脱走していきます。結果的にフランス側は陣地を放棄します。

ディエンビエンフーの町を見下ろす東側もベトミン側に有利になり、さらにフランス側が頼っていた空からの補給部隊をベトミン側が攻撃するなど、終始ベトミン側が有利に戦います。

さらに雨期に入ると泥水が腰に浸かる鉄開くな環境に苦しむようになり、ベトミン側の厳しい攻撃の元、フランス側のベトナム軍の戦意が一気に喪失。

5月7日に要塞は陥落し、戦いは終了します。

フランス側は2200人が戦死、1万人以上が捕虜。ベトナム側も8000人が戦死、15000人が負傷しました。

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5、まとめ

ホーチミン

すでに、フランス側に対して有利戦っていたベトナム側。

フランス側の逆転を狙った作戦は見事に失敗し、第一次インドシナ戦争の決着がほぼついたことになりました。

この後、和平交渉を行い、フランスがベトナムからの撤退が決定し、ベトナムが独立することになります。ただその後、アメリカが介入してしまい、再び戦乱(ベトナム戦争)という悲劇が繰り返されてしまいます。

ちょうど、今回をテーマにした「ディエンビエンフー」というそのもののタイトルで、この時代の事を描いた漫画がありました。このあたりの事情をより詳しく知りたい方はどうぞ。

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投稿者: kumakuma2018

東南アジア10ヶ国中、ブルネイを除く9カ国に渡航経験があり、15年以上前からほぼ毎年渡航していて、日本で東南アジア料理店を経営しています。

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